2003年・赤い惑星-火星の大接近
 
福井市自然史博物館の屋上天文台は創立の1952年以来、50年ちかくにわたって、とくに火星を観測してきました。
2003年には火星の大接近があります。
火星の大接近とは何か、望遠鏡ではどのように見えるのか、あなたも、大接近までに予備知識を!

★★ 目次 ★★

★火星の接近とは?

★ 2003年・世紀の大接近

★火星のすがた

★2001年の火星接近
(2001年の火星と地球の位置関係図)

★1999年の火星接近
(1999年の火星のスケッチ)

★おわりに


★火星の接近とは?

 火星は地球の外側をまわっているお隣の惑星ですが、地球はほぼ365日で太陽のまわりを一周するのに対し、火星はゆっくりとその1.88倍ほどかけて一周します。そのため軌道上で地球が火星に追いついてお互い並んで走ると、次の機会は780日ほど、つまり2年2ヶ月ほど経たないと起こりません。ですから、火星が地球に接近するのは2年2ヶ月ごとで、1952年は火星が接近したのですが(このとき福井市自然史博物館天文台で観測が始まったのです。最接近は5月8日でした)、その次の接近は1954年でした(最接近は6月2日でした)。


 接近には更に微妙な問題があります。それは地球の太陽のまわりの軌道は円に近いのですが、火星のそれはかなりの楕円で、軌道が地球の軌道に近いところとかなり離れるところがあるのです。もし、お互いの軌道の距離が狭まっているところで並ぶとすると、地球から火星は大きく見えるわけです。これが、1954年のあとの接近1956年の機会に起こりました(最接近は9月7日でした)。こうした場合を「大接近」と言います。大接近は15年ないし17年ごとに起こります。1956年の15年後の大接近は1971年8月12日に起こりました。その次は17年後、1988年9月22日に起こりました。そして、今度は2003年8月27日にその大接近が起こるのです。
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★ 2003年・世紀の大接近

  火星と地球の接近は2年2ヶ月毎、大接近は15年ないし17年ごとと言っても、なかなか同じような接近はありません。「大接近」でも違いがあるのです。20世紀に起こった最大の「大接近」は1924年に見られたものでした。
こうした珍しい大接近は79年ごとに起こることが計算で出てきます。1924年+79年=2003年で、2003年はふたび最大の大接近になるのです。それどころかもっと詳しい計算によると1924年の大接近よりも近づき、実は紀元後最大の最接近となるようです。しかも、あと数百年これを超える大接近はありません。ですから2003年の大接近は世紀的というより「ミレニアム大接近」なのです。

 2003年に火星が最接近するのは夏休みも終わりの8月27日です。この年の夏には夜半、赤あかと輝く火星が注目を浴びるでしょう。

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★火星のすがた

 もっとも火星はどの様に近づいてもさほど大きくは見えません。
火星は地球より小さく(地球の赤道半径は6400kmほどであるのに対し、火星のそれは3400kmほどです)、さらに最大に近づいたといってもおたがいの距離は5600万kmもあるのです。
遠くにあるものの見かけの大きさを表すには角度を用います。お空の半球が南北180度、その180分の1が1度角、その60分の1が1分角、その60分の1が1秒角です。火星は2003年8月27日の最大視直径で25.11秒角です。お馴染みの満月は30分角ほどありますから、いかに小さいかわかるでしょう。肉眼では単に赤く明るいだけです。400倍ほどの望遠鏡で眺めて、初めて表面がよく分かるようになります。


 火星の表面にしっかりした固定された模様があることが分かったのは1659年のことで、発見者はオランダのホイヘンスでした。望遠鏡が発明され、天体に向けられたのは1609年(ガリレオ・ガリレイ)ですから、直ぐ間もなくのことです。1672年にはホイヘンスは火星の南極に白く輝く極冠を発見していますが、この南極冠(ドライアイスの雪原)は大接近の時に見られます。

 2003年の最接近の前後には口径10cm級の望遠鏡でも火星のいろいろな模様や南極冠は眺めることができるでしょう。火星はたいへん表面のきれいな惑星です。砂漠地方は赤っぽい色で明るく見えますし、自転によって移動する暗色模様は魅惑的です。


 最近は火星の気象に関心がもたれ、火星の白雲の動きや、サイクロン型の台風などが注目されています。しかし、火星で最も話題になるのは大接近の頃、南半球の晩夏に見られる大黄雲です。これは砂塵を巻きあげた台風とみられていますが、大きいものになると火星の全模様を隠してしまいます。福井市自然史博物館(当時郷土科学博物館)天文台でも1956年、1971年、1973年の接近の時に大黄雲を観測しています。1971年の大黄雲はこれまで知られている黄雲の中では最大で、当時火星に近づいていたマリナー9号は火星が黄雲につつまれて何も見えない状態に遭遇しています。1973年の大黄雲の発生は博物館天文台でも独立に発見しました。この黄雲以降、あまり大きな黄雲は見られないのですが、エネルギーは蓄積されているはずで、そろそろ大きな黄雲の出る可能性もあります。こうした点でも2003年の大接近は注目されるでしょう。

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★2001年の火星接近

  2003年に先立って、2001年にも火星は地球に接近してきます。6月22日に最接近しますが、この時の火星の視直径は20.8秒角で、2003年ほど大きくはありませんが、20秒を超えるのは1988年以来13年ぶりなのです。

 

    地球と火星の位置関係
図1:2001年の火星と地球の位置関係

 図1には2001年の火星と地球の相互の位置関係を示してあります。この図を見ると、3月、4月にはまだ地球が火星の後方ですが、6月には追いついて、7月、8月には追い越して距離を開いてゆくことがお分かりでしょう。ちょうど太陽と地球と火星が並ぶころ(6月)は火星は一晩中見えますし、大きいのです。2001年にはこの頃火星の北半球が秋分を迎えています。南半球は春分で、いよいよ大きな南極冠が出現するのです。南極冠は次第に溶けて縮小してゆきます。もし、9月ころまで連続して火星を望遠鏡で見続けてゆくと、小さくなって行く様子がつかめます。


 博物館天文台では6月22日の夕方、20時から一般公開で火星を観望していただくことになっています。火星はほぼ日没時に東から昇ってくるわけですから、20時ではまだ高度が低いのですが、20.8秒角の大きな火星を400倍ほどで観望します。南端には大きな白い極冠や17世紀の昔ホイヘンスが見たと同じ大きな暗色模様(大シュルティスと呼ばれています)が見られるでしょう。天文台は特別に22時まで公開されます。40分ほどすると火星は10度自転し、模様が移動しているのがわかるでしょう。7月6日の夕方にも二度目の火星観望の一般公開があります。火星は少し地球から離れて、視直径は20.1秒角まで落ちますが、充分な大きさです。火星面では、6月22日とは違った模様が見えます。


 2001年の火星接近には少し都合の悪い点があります。それは火星の高度が低く、気流の影響を受けやすいのです。火星はだいたい太陽の通る道、黄道をたどるのですが、2001年の最接近のころはサソリ座とイテ座の間にあって、この星座はご存じのように南天低くに位置するのです(太陽が冬季鎮座するところで、冬の太陽は南天低いわけです)。2003年の最接近の時はこの火星の高度は改善されます。ですから、観望の点から言えば、2003年の方がはるかによいのでしょう。しかし、例えば南極冠の出現時を大きな視直径で観測するには2001年は欠かせない接近なわけです。

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★1999年の火星接近

  2001年の接近に先立つ二年前の1999年の火星は5月1日に地球に最接近しました。博物館の屋上天文台では5月21日、28日、6月11日の夕方に市民向けの観望会を行いました。このときは北極冠がよく見えていました。同時に観望した金星が銀色に輝くのたいし、火星は地面の色が赤みを帯びて対照的でした。暗色模様もよく見えました。

 火星スケッチ1

図2:1999年4月29日22時50分 視直径=16.2秒角

   火星スケッチ2 

図3:1999年5月30日20時50分 視直径=14.5秒角


  天文台では、1999年の火星を幅広く捉えるために、1998年の10月から観測を開始し、2000年3月まで観測を続行させました。火星の全季節を観察するには少なくとも15年から17年かかるのですが、1999年の火星は、とくに北半球の夏を観測する絶好の機会でした。同じ季節に1984年にも出会っていますが、その時の観測を補強するものです。 多くの観測の中から、博物館天文台で得られた1999年の火星のスケッチを紹介しましょう(図2、3)。下側(火星の北)にある明斑が極小状態にある北極冠です。

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★おわりに

  博物館天文台での火星観測は、「福井市自然史博物館研究報告」に発表されます。すでに1995年までの成果は9編の報告に発表されています。

 また、当博物館屋上天文台で活躍する火星観測家たちが中心になって『火星通信』が毎月編集されています。

 『火星通信』は東亜天文学会の「火星課」が発行しているものですが、和文・英文のニュースレターで、1986年に発刊されました。毎月の火星面の様子が克明に記載されています。最近はインターネットにも登場していますので、屋上天文台だけでなく、日本や世界の火星観測の活躍の一端を知ることができます。内容は専門的ですが、『火星通信』のウェブサイトに近々、屋上天文台が和文・英文で紹介される予定とのことです。

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